ソクラテスが考えたこと【倫理の偉人たち】

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  • 2015年03月04日公開
キーワード
西洋
哲学
無知の知
倫理

倫理を学ぶ意義とは

倫理という科目は実にマイナーで、積極的に学ばれる科目ではありません。出題するところはセンター試験と一部の私立だけですし、比重もそんなに高くない。正直な話、倫理の単語集を見て、その字面をなんとなく覚えるだけでセンターの得点は80点を超えたりすることもあります。

そんな倫理ではありますが、塾講師という立場にたてば、倫理を教えなければならない場面があります。それは、生徒が倫理を教えて欲しいと言ってきたとき、あるいは倫理に関する質問をしたときです。

しかし、倫理を学ぶ意義は、入試に合格するためだけではありません。倫理に登場してくる哲学者や思想家は、思考のベースを提供してくれる偉人たちであり、その考えを理解するだけで数学や国語に応用できることも少なくはないのです。

何より、日常生活を豊かにしてくれます。今、あなたの目の前にあるパソコンあるいは携帯電話が今後社会にどんな影響をもたらすのか、それを考えさせるものでもあるのです。

倫理(あるいは哲学)を知ってほしいという思いでこの記事を書きました。この記事は、倫理によく登場してくる偉人たちを取り上げ、彼らがどのような思想を持っていたのかをより深く理解するために書かれています。

ソクラテスという人

ソクラテスという偉人は、西洋哲学のスタートとも言える人物です。おそらく中学生や、一部の小学生も知っているぐらい有名な人です。

しかし、彼が哲学の基礎を気づいたと言われることがあっても、彼が実際にどんなことを考えていたのかはあまり知られていません。むしろ「ソクラテスは自殺した人」だとか「道行く青年に声をかける不審者」だとか、現代からしたらとんでもない人物に聞こえます。

そんな彼ですが、実は現代においてすごい影響力を残しているのです。それについて見ていきましょう。

 

前提の確認

ソクラテスが生きた時代はキリストが生まれるよりずっと前、つまり紀元前です。具体的な年号はまったく重要性を持たないのですが、当時の社会情勢については知っておく必要があるでしょう。

彼はギリシャの人なのですが、彼が生きていた当時は本当に荒れていたようです。色んな政治家が自分の意見が正しいということを民衆に広めようとし、弁論術を学んでとにかく「説得する術」ばかりを学んでいました。

何が良い政治なのか、何が民衆のためになるのかをまったく考えずに、です。

民衆もそれに煽られて、わけのわからない意見に賛同したりするようになりました。

これを衆愚政治といいます。

一方で、当時のギリシャは自然学がすごく発展していました。世の中の物質は何でできているのだろうかという議論があったぐらいで、世の中の自然現象の原因の解明に熱心だったようです。当たり前のように聞こえますが、これは大変すごいことです。今までの人たちは雷が落ちた時は、「あれは神様がお怒りになった」というような、神話による説明が大半でした(これを神話的世界観といいます)。しかしこの時代の人々は、そういった説明ではなく、「なぜだろう」と真剣に考えて、原因を追求しようとしました(これを自然哲学といいます)。

つまり当時のアテネでは、政治は衆愚政治で、学問は自然哲学が発展していたということを確認しておきましょう。

善く生きること

さて、そんな時代で育ったソクラテスは何を考えたのでしょうか。ソクラテスは勉強熱心でしたから、自然哲学や数学を学んでいたそうです。物事の原因を追求していたり、物事の本質は水だとか火だとか、そういったことを学んでいきました。

自然哲学の世界では物事の本質を捉えようとする一方で、世界の本質を捉えようとします。つまり、この世界はどのように構成されているのか...これを宇宙論と呼びますが、その中でソクラテスに影響を与えた人物がアナクサゴラスという人物です。彼はこういいます。

「自然はあるようにしてあるのだ」

ふむ、どういうことだ...。

極端なことを言ってしまいますが、宙に浮いている石ころというのは不自然なのです。冷たい炎というのは不自然なのです。石ころが宙にあるとき、それが落ちて地面に『あろうとする』こと、炎が熱を帯びて熱いように『あろうとする』のは、世界の理性がそれを善いとするからである、ということです。

「なんだよなんの説明にもなってないじゃん」

と思うかもしれません。仰るとおり、現代人の感覚からすれば何も言っていません。けれども昔の人はこれを「ほうほう」と納得したらしいです。

とりあえず、『善い』とはすなわち、「あるべき姿」のことだと思っておけばいいでしょう。

 

そして、なんと、ソクラテスはこれを人間に適用したわけです。

「なるほど、自然はあるべきしてあるわけか...しかし人間はどうだろう。私が今ここにいるのは、そうあるべきでいるのだろうか。彼が盗みを犯したのも、彼女が殺しを犯したのも、そうあるべきでそうなったのだろうか...いや、違うはずだ」

その「違うはずだ」という点においては論理的な理由はないのですが、皆さんの中には直感として、「おかしい」というのがあるのではないでしょうか。その人が罪を犯すことを「当たり前」として受け入れるのって、難しいですよね。

これがソクラテスの思想の根源です。

「人間は自分の意思で善くあろうとすることができる」

つまり、人間は自分の意思にもとづき、あるべき姿にあろうと努力することができるというのです。他の動物・植物といった自然は勝手にあるべき姿にあるのですが、人間だけは特別で、自分の意思でそこに到達しなきゃいけないというわけですね。

 

塾講師という例でソクラテスを説明する

あらゆる職業は自分の専門性を持ちます。例えば、塾講師は、授業力という能力を磨かないといけないわけです。善い塾講師というのが、授業力のある塾講師だとすれば、塾講師は授業力を磨こうとするわけですね。

それは当然のことですよね?

塾講師であるからには、善い塾講師でありたいじゃないですか。

けれども問題なのは、授業力の上げ方がわからないということ。そもそも授業力って何かということです。もしこの世界に授業力を上げる正当なマニュアルが存在するのであれば、それを使わない手はありません。加えて、正当なマニュアルがありながらも、「いや、自分には授業力は必要ないんで」という塾講師もいないはずです。さらにいえば、自ら授業力という能力を捨てようとする塾講師もいないはずでしょう。ちなみに、大工さんであれば、授業力が必要ないのです。

 

実はこの例には、ソクラテスの考えたことが散らばっています。

プシュケーとアレテー

善くあろうとする主体を魂(プシュケー)と呼び、磨こうとする性質を徳(アレテー)と呼びます。上の例でいえば塾講師であるという身分がプシュケーにあたり、授業力というのがアレテーにあたるわけですね。ちなみにこのアレテーを磨く行為を魂の世話といいます。

知徳合一

ソクラテスは、『善』を知れば人間は勝手にそれを目指すはずだといいます。これを知徳合一といいます。塾講師の例でいえば、授業力を上げる方法だとか、その定義を知ることができれば、自らそれを磨くことを目指しますよね? 塾講師であるからこそのあるべき姿というのがありますし、人間であるからこそのあるべき姿というのもあるのです。それは何かはまだわからないのですが、もしそれが見つかれば、人間はそれを目指すはずだというのが、ソクラテスの持論です。そして徳を達成することは、すなわち幸せだともいいます。これを福徳一致といいます。


善を知るために

問題は善を知るためにはどうしたらいいのか?

ここで壁となるのが、衆愚政治でした。衆愚政治の根幹となっている政治家たちです。政治家たちはソフィストと呼ばれる弁論術を教える人たちに教わった相対主義を身につけています。相対主義とは「幸せは人それぞれ」とか「善は人それぞれ」とか、あらゆる価値観を相対化してしまう思想です。

これって最強なんですよね。いかに悪い政策を提示しても、見方を変えてしまえば、良い政策に見せることができるのですから。それゆえ、プロタゴラス(相対主義の発案者。「人間は万物の尺度である」という言葉で有名。)は政治家に大人気でした。

ソクラテスはこの思想に立ち向かう必要がありました。この思想を打破しなければ、「あるべき姿」を見つけたとしても、相対主義によって崩壊してしまうからです。

といっても、ソクラテスがこれについて明確な反論をしたわけではありません。あくまで「みんなそれぞれじゃなくて、みんな知らないだけだよ」という返事をしたにすぎません。

いわゆる、無知の知という姿勢を取ったんですね。「私は何も知らない。だから知るために一緒に考えようじゃないか」と。これには相対主義も反論できません。一方で無知の知も相対主義に反論できていません。いわゆる水掛け論に持ち込んだのです。(だって定義してしまうと、誰かさんが「いや、私はそうは思わない」とかいいだしますからね)ちなみに問答法というのは、自分を無知の知だという前提において、相手に質問を浴びせる方法です。

ソクラテスは結局、善とはなにかという答えは出していません。あくまで無知の知を広め、「みんなで考えようよ」と言っているだけ。でもだからこそ相対主義の潮流に流されないで済んだともいえます。

 

ソクラテスの何がすごいのか

皆さんはソクラテスの話を聞いて、何かに気づきませんか?

実はソクラテスは、倫理そのものを作り上げたのです。つまり、「人はどうあるべきか?」という問いを打ち立てたんですね。ソクラテスが登場するまでは人間はどうあるべきかなんて誰も考えなかったのです。しかし、彼が「善」という言葉を世に生み出してから、現代社会に至るまで、誰しもが「どうあるべきか」を考えるようになったのです。

もしあなたが人生において、一度でも「人はどうあるべきか」を考えたことがあるのであれば、十分にソクラテスの影響を受けています。個人的に思うのですが、今の時代、誰しもが「これこそが幸せだ」と自信をもって答える人というのはあまりいません。ある意味、現代にはソクラテスのいう無知の知が、十分に広まっているといえるのではないのでしょうか。

皆さんは、そのように考えたことが一度でもあると思います。

それゆえに、ソクラテスは倫理学の祖を呼ばれているのです。 

 

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