ついに、塾講師が国家”検定”に!? 塾の存在意義について考えてみた。
塾の役割は?ー塾講師検定の国家”検定”化を踏まえて
先日このようなニュースが出ました。
なかなか興味深いと思いますが、いかがでしょう。
塾講師の検定を「国家検定」にする準備が進んでいる。指導力を保証して信頼性を高めたい塾業界と、サービス業の質を上げたい国の思惑が背景にある。ー朝日新聞より(参考:塾講師を国家検定に 信頼性向上狙い17年にも)
塾講師の皆さんにとっては気になるニュースだと思います。
これが現実としてどこまでの影響をもたらすのかはわかりませんが、今記事ではこれを題材にして、塾の存在意義について考えていきたいと思います。
まず塾講師検定って何?
実は塾講師にも検定のようなものがあります。
正式名称は”学習塾講師検定”、塾講師検定と呼ばれています。
塾講師検定は1級〜3級まであり、2008年より実施されたものです。
公益社団法人全国学習塾協会では、各学習塾における優秀な人材の確保・育成を図るために、学習塾講師能力評価システムの構築に取り組み、学習塾のミッションと期待される講師像を定義した上で、「学習塾講師集団指導1級(以下、集団指導1級)」「学習塾講師集団指導2級(以下、集団指導2級)」及び「学習塾講師集団指導3級(以下、集団指導3級)」検定試験の枠組みを設計しました。ー全国学習塾検定HPより
しかし現実のところ、2級は塾講師を初めて2,3年の経験を持つレベルであり、1級は3,4年の経験を持つレベルであるとされています。
これが意味するところは、「大学1年生から塾講師を始めた人ならば、大学4年生には1級レベルになりうる」ということを意味するでしょう。
実際塾講師検定はそこまでレベルが高いものを求めているわけではありません。
エキスパートやカリスマ講師といった人々は、基本を十分に理解しつつも、それぞれの型を持っているのであって、それはよい意味での「個性」といえます。(中略)こうしたレベルは検定の対象外になります ー全国学習塾検定HPより
つまり、本当にカリスマ塾講師を目指そうとするならば、1級はあくまで基礎レベルとして位置づけ、そこから先の個性が必要だということになります。
このニュースがもたらす意味
「おおなんかすごいことになったな」
そう思わせてしまったらごめんなさい。
たぶんその検定を持っていないと塾講師ができなくなると思ったのではないでしょうか。
実はそうでもないのです。
確かに塾講師検定が国家検定になる可能性はあるのですが、国家“資格”ではないのです。
この動きが始まったのは昨年度、厚生労働省が推進した「業界検定スタートアップ支援事業」を受けてのことでした。
この事業は職業技能を見える化することでその業界の質を担保しようというものでした。
この事業が「何かいい検定ない?」と募集をかけて手をあげたのが、公益社団法人全国学習塾協会の塾講師検定だったのです。
手をあげたこと自体は去年の話でしたが、それが2017年に達成される見込みが出たというのが、今年の8月26日の段階でした。
(参考:「学習塾講師検定」が国家検定を目指す意義とその背景)
しかし、個人的な見解としては、塾業界では講師の絶対数が不足しているということが問題点としてまず挙げられます。
不足している状態であれば、いかにそこでの質を担保したところで意味がありません。
確かに「うちの塾は塾講師検定1級保持者のみです」という宣伝はありえるかもしれませんが、それは結局「うちの塾は5年以上の経験を持つベテラン講師のみです」と言っているとのかわりません。
現状においてそのような宣伝をしている塾は確かにありますが、結局市場シェアの大部分を占めている大手の塾はそういった宣伝は一切行わず(参考:塾ナビ, 学習塾売上高ランキング)、まずは膨大なニーズに対応できるように講師の確保(量)を優先しているといった状況です。
ところで塾講師の役割って?
結局のところ塾講師検定が国家“検定”となるだけでその重要性はあまりありません。
しかし、私はこのニュースに対して寄せられた声に注目すべきだと思います。(ツイッターで“塾講師”と検索するとたくさんの批判が聞こえます)
その大部分は要約すると、
「まずは教師の質を優先すべきじゃないの?」
このコメントは、「塾は学校の補完的存在」という前提に立ったものだと思います。
少しここで塾の存在意義について考えるために、塾と学校の比較をしてみましょう。
① 市場原理の違い
第1に違う点は市場原理・競争原理が作用するかどうかだと思います。
小中までは義務教育として強制されていることですし、さらにいえば高校もほとんど義務化されているような状態と言えます。
つまりある年齢に達したら、小中高に通う必要があるのです。
そして彼らが一旦通う学校を決定すると、学校側はその入学してきた生徒を一生懸命面倒を見るわけです。
基本的に彼らが学校をやめて、他の学校に行くようなことはありません。
一方で、塾はそうはいきません。
まず保護者や生徒が塾の必要性を感じることがなければ塾に通うことはありませんし、仮に塾に通ったとしても、保護者がその塾が気に入らなければ他の塾にスイッチすることができるのです。
当然、塾は顧客を獲得し、顧客のロイヤリティを維持する必要がありますので、必死にシステムづくりに励んだり、人材育成に励んだりします。
ただし落とし穴が1つ。
塾としても顧客をたくさん呼び込みたいわけですが、今や塾は中高生にとって不可欠のものとなり、「塾に行くのが普通」という状態になってしまいました。
これは顧客の増大を意味し、ある意味「塾がそこまで頑張らなくても、勝手に顧客が舞い込んでくる」という状態になったと言えるのです。
実際に統計(参考:http://bylines.news.yahoo.co.jp/fuwaraizo/20140228-00032948/ )を見ても、2012年時点で公立中学生の通塾率は70%近く、また高校生も30%後半を示しています。
またその数値は年々増加しているのです。塾は競争原理にさらされているがゆえに様々な工夫を凝らし、合格者数を増やすことをインセンティブとしていましたが、その状況が緩くなってきたと考えると、状況は変わらないとはいえないかもしれません。
② 責任の違い
もう1つの大きな違いは、「責任」と言えるでしょう。
まず学校側は成績の向上のみならず、道徳や倫理の面からも教育指導を任されています。
ゆえに先生はクラブ活動や生活指導といったことにも責任を持たなければなりませんし、意識を向ける必要があります。
クラスに1人問題児がいれば、先生はその日の夜、次の日の授業のことを考える代わりに、どうやってその生徒を落ち着かせるか、保護者になんとお話しようかと考えていることでしょう。
一方で塾講師はそういった責任を持ちません。
塾講師に期待されていることは倫理とか道徳ではなく、「成績の向上」なのです。
それは数値に現れやすいものです。
その数値が落ちれば塾の責任ですし、その数値があがったら塾のおかげなのです。
講師側もそれ以外の責任を押し付けられないがために、成績の向上のための授業作りに集中できます。
以上のことを考えると、塾講師の存在意義は、市場の観点からも、責任の観点からも「成績の向上」であることに間違いはありません。
だからこそ、教師とは全くをもって性質が異なると言えます。
いかに教師の質を向上させようとしても、その質は成績のみならず倫理・道徳の教育にまで踏み込んだ広範な範囲に及びます。
ゆえに、教師が成績向上のポイントにおいて、成績のみに注力している塾講師を上回るということはかなり難しいことです。
まとめ
塾講師検定が国家検定になることはちょっとした話題となりましたが、それは現在の市場ニーズや業界の傾向に沿った形ではありません。
質の担保は提供できる量が十分に確保できてからの問題です。
とはいえ、塾講師よりも教師をまずは優先すべきという意見も的を射ているわけではなく、性質が違うことを踏まえる必要があると筆者は考えます。
塾講師検定は、塾の存在意義に照らし合わせて、塾講師としての役割である「成績の向上」の力がどれだけあるのかを測定するものであるべきでしょう。
この検定がどれだけ有用なものかどうかは、将来どれだけ検定が浸透するかどうかでわかることかと思います。